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 Table Soccer World

vol.1 A BOY MET THE FOOSBALL
vol.2 第2の壁 TOURNAMENT PLAY STYLE
vol.3 FOOSBALL SWEET & BITTER
vol.4 アメリカ国立公園巡り1 -I'm a Pull shot fooser-
vol.5 アメリカ国立公園巡り2 -Push Shot VS Pull Shot-
vol.6 日本 foosball 事情 -横浜編-
vol.7 日本 foosball 事情 -六本木編1-
vol.8 日本 foosball 事情 -六本木編2-
vol.9 日本 foosball 事情 -六本木編3-
vol.10 日本 foosball 事情 -六本木編4-
vol.11 日本 foosball 事情 -テーブル今昔-
vol.12 日本 foosball 事情 -西東京の聖地-
vol.13 日本 foosball 事情 -東北仙台の聖地-
vol.14 世界 foosball 事情 
vol.15 世界 foosball 事情 -世界における日本のレベル-
vol.16 テーブルサッカーの生涯スポーツとしての可能性
〈日本 foosball 事情 -東北仙台の聖地-

 仙台のセントエルモスバーもまた東北の聖地である。
1988年、ショットバーとしてオープンした店で、映画「セントエルモス」からの命名だ。映画に関係したポスターやサインなどを飾っていたと言えば、おおよそ雰囲気は見当がつくだろう。そして…ここには、foosballテーブルが設置されていた。
 セントエルモスバーのオーナー小山一城氏(後に佐藤一城)は、マニアックな資質を持ち、本業のバーテンダーとしてもさることながら、オートバイレーシング、競馬、70年代、80年代の洋楽、映画にも精通した人物でもある。
 その佐藤氏の目にfoosballがとまっったのだ。

 1995年頃、東京のプレーヤー小林庸一氏(某電機メーカー勤務)は仙台に転勤となり、セントエルモスバーに出入りするようになったのがきっかけだった。小林氏は学生時代ボストンに留学、そこでfoosballと出会い、他の多くのプレーヤーがそうであったように、foosballにのめり込んでいった。日本に帰国してからは、年代は違うものの私同様foosballを探しあるき、六本木の聖地ヘンリーアフリカに通い、プレーを更に磨くことになる。当時のハウストーナメントで小林氏と私は組んで3、4回優勝した経験がある。小林氏は今でも大変貴重なpush shot playerで、他のバリエーションショットを覚えて戦う私の話を聞こうともせず、push shotオンリーのかなり個性の強いプレーヤーだった。
 マニアックな佐藤一城氏と強い個性を持った小林氏が繋がることで、セントエルモスバーにfoosballテーブルが設置されることになったのだ。そして、多くのプレーヤーが集まるメッカへとなっていく…。
 佐藤氏のマニアックぶりは、インターネット草創期からホームページを作成、「foosballはどのような理論に基づいて考えるか」などの独自の理論を、常連の客の通称教授と呼ばれた人物と一緒にWEB上で展開してゆくのだ。
 foosballに理論が与えられ、そのプレースタイルは当然の事ながら、小林スペシャルpush shotに基本を置くことになる。そしてプレーヤー達は東京の大会に参加するようになり、大会で初めて見るテクニックやスタンス、ショットを吸収して独自のスタイルの開発を試みてゆくのだ…。
 当初のテーブルはミリオンダラテーブル。現在はトルネードに変わっている。
各国において独自に発達したfoosballテーブルだが、最終的にどんなテーブルでも楽しめるという良い例だろう…。
 ところで、セントエルモスバーにfoosball playerが集まるもう一つの理由がある。
 当時唯一男性トッププレーヤーと肩を並べて戦い、現在も日本の女性トッププレーヤーに君臨する好枝ちゃんの存在だった。彼女はプレーもさることながらルックスも抜群で、好枝ちゃんにボコボコにされて喜んでいるプレーヤーもいるようである。彼女は日本ではじめてroll over shotを会得し、試合でも使いこなす最初のプレーヤーでもある。その魅力と佐藤氏の人徳により東京から3〜4時間車を飛ばして通うプレーヤーもいるほどなのだ。

 最後に佐藤氏について触れておくことにする。
 氏が頭角を現したのは、2001年のマレーシア遠征に参加して、前回述べた高円寺の江藤氏とRookie Doubles部門でチームを組み、みごと三位に入賞したのが大きなきっかけになったのではと私は推測している。(海外遠征をすると少なくとも3日間はフーズボール漬けの幸せな日々が続く。眠ることも惜しまず皆でプレーを熱く語り合うことになるのだが、こういうことが、後々様々な肥やしになるのだ。)
 その後、佐藤氏は若手の育成にも大きな影響力をもち、そのマニアックでニヒルな外見から想像も出来ない繊細な気遣いができる人徳から、他のトッププレーヤーともチームを組み、2002年のJapan Openでは、Open Doubles準優勝、Rookie Doubles 優勝するなどの輝かしい成績を残している。

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代表 植野 穰

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