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Table Soccer World |
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〈日本 foosball 事情 -六本木編 1-
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1980〜1983年はfoosballにおける六本木の第一次黄金期といっていいだろう。
現在では考えられないくらいfoosballが人気の時代だったのた。勿論、この黄金時代の到来には、いくつかの要因が考えられる。
まず、当然ながら六本木というロケーションである。
若者の街、渋谷・新宿とは雰囲気を異にし、大人がナイトライフを楽しむという文化があり、芸能人や有名人が遊ぶスポットでもあったこと。
また、近くに広尾・麻布十番・南麻布など外国人高級住宅が連なるする地域があり、アメリカンバーやアイリッシュバーなどの外国人がたまる場所も多かった。このような環境から六本木はアメリカンスクールやブリティッシュスクールなどの若者がよく遊びに来る地域でもあったのである。
次に、他の都市と比べて六本木のfoosballの特長としては、レベルも高く、比較的ルールも守っているという土壌が考えられる。ショットのスタイルも豊富で、イタリア人、南米系、イラン人、アラブ系はどちらかというと常にボールを止めずに、動体視力や反射神経を使うプレーヤーが多く、サッカーが盛んな国ほどこの傾向が強く感じられた(現在ではこの限りではない)。
またfoosball先進国のアメリカ人、イギリス人、ドイツ人などはしっかりパスをして、確実にポイントする近代的なスタイルをとっていた。
当時主流のショットは、今でも最強とされるpull shot や、当時ミリオンダラーテーブルでは最強とされていたback
pin shot、ならびにpush shot、横浜で流行っていたpull kick、そして体力とテクニックが最も必要とされていたpush
kick shotなどが前衛からのショットで、後衛からのショットはback pin、pull shotと同じ正確さで、bank
shotを左右自在にうちわけることが出来るプレーヤーも数人いた。
ちなみに当時私が得意としていたショットは、フロントからのback pin shotで、距離スピードとも群を抜いていたと自負している。
また同じポジションからリバース、更にそのリバースへのpull kickなどへの移行は変幻自在であった。更に、バックからは同じくback
pin からのpull shotを軸に、バンクショットを左右うちわけができ、最も攻撃型のプレーヤのひとりであった。山崎良平氏とペアーを組んで、7〜8タイトルを獲得していた。
そういう時代…、六本木の「foosballの3大聖地」といわれていたお店が存在した。
フライデー(Thanks God It's Friday)、ヘンリーアフリカ(Henry Africa)、ピップス(Pips)である。
残念ながらどのお店も現在は存在しないが、第一次黄金期には繁栄を極め、集まった人々は盛んにfoosballをプレイしていた。
次回は、六本木の「foosballの三大聖地」の記憶を辿ってみることにする。
Japan Foosball Club
代表 植野 穰
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